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御蔵〔本来の艦名表記は御藏。以下、「御蔵」の表記部について同じ。〕 (みくら)は、日本海軍の海防艦。御蔵型海防艦の1番艦。 ==艦歴== マル急計画の海防艦甲型、第310号艦型の11番艦〔マル急計画の当初計画での番数。〕、仮称艦名第320号艦として計画。1942年2月14日、海防艦乙型の基本計画が決定し仮称艦名第322号艦がその第1艦となる予定だったが、建造予定を繰り上げて本艦が第1艦となった。 1942年10月1日〔〔、日本鋼管株式会社鶴見造船所で起工。1943年5月25日、御蔵と命名され本籍を横須賀鎮守府と仮定し、海防艦御蔵型の1番艦に定められる。7月16日〔〔進水。10月5日、艤装員事務所を日本鋼管鶴見造船内事務所に設置し事務開始〔昭和18年10月12日付 海軍公報(部内限)第4515号。〕。30日竣工〔し、艤装員事務所を撤去〔昭和18年11月9日付 海軍公報(部内限)第4536号。〕。同日付で本籍を横須賀鎮守府と定められ、第四艦隊第二海上護衛隊に編入。 11月14日、3114甲船団(建部丸、特設砲艦大同丸)を護衛しトラックに向け横須賀発。15日、第二海上護衛隊は海上護衛総司令部隷下となる。27日、トラック着。12月5日、平戸とともに4205乙船団(特設運送船秋葉山丸、〃總洋丸)を護衛し横須賀に向けトラック発。7日、總洋丸が被雷したため平戸が救助のため現場に留まり、御蔵は秋葉山丸を護衛しサイパンに向かう。10日、サイパン着。4205乙船団はサイパンで薩摩丸を加え、12日サイパン発。20日、横須賀着。以後、内地-内南洋間の船団護衛に従事。 1944年4月1日、東松四号船団を護衛し木更津発。10日、同船団はサイパンで解列され御蔵は第二海上護衛隊指揮下に復帰。6月18日、第一海上護衛隊の作戦指揮下に編入。7月18日、第二海上護衛隊の解隊にともない第一海上護衛隊に編入。内地-南西方面の護衛に従事。12月10日、第一海上護衛隊は第一護衛艦隊に改編。 1945年1月1日、新編された第百二戦隊に編入。門司-汕頭-香港間の護衛に従事。3月27日、第一遊撃部隊の前路掃蕩のため第33号海防艦とともに門司を出撃。同日、豊後水道の南で佐伯海軍航空隊機が探知した潜水艦に対して爆雷戦を行い、アメリカ潜水艦トリガーの撃沈に関与したとされる〔月刊シーパワー 1985年11月号、pp. 75-76。〕。28日、九州南方で消息不明となり亡失認定。同日、アメリカ潜水艦スレッドフィンの雷撃〔『日本海軍護衛艦艇史』および『丸スペシャル 「海防艦」』の記述による。〕、もしくは艦上機と交戦〔AS作戦第百二戦隊戦時日誌の記述による。〕の末沈没したと推定されている。海防艦長の小田隆輔少佐以下乗員216名全員戦死。5月25日、帝国海防艦籍から除かれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「御蔵 (海防艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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